QUOIT Blog

労働と選択

この記事は3年以上前の記事です。情報が古い場合がありますのでお気を付け下さい。

ブラック企業ってよく目にしますが、どうしても違和感があるんですよね。
なんでそう感じるんだろうと考えていったら、少しその原因が分かった気がしました。

働くって何だろうね。

前提条件

まず自分のスタンスを明確にしておきます。
私は今会社員として会社に所属していて、月々決まった給与をもらっています。
また、この文章は私の個人的な見解であり、所属する会社、団体には一切関係がありません。
みんな大人なので分かってるということで一つよろしくお願いします。

ブラック企業という批判

「ブラック企業」という言葉は今や広く知られています。
wikipediaにも載ってるんですね。

ブラック企業 – Wikipedia

ブラック企業(ブラックきぎょう)またはブラック会社(ブラックがいしゃ)とは、広義としては暴力団などの反社会的団体との繋がりを持つなど違法行為を常態化させた会社を指し、狭義には新興産業において若者を大量に採用し、過重労働・違法労働によって使い潰し、次々と離職に追い込む成長大企業を指す[1]。

最近の文脈では、後者、狭義のブラック企業を指すことが多いと思います。
そうしたブラック企業に労働基準監督署の調査が入り、不当に支払われていなかった残業代が支払われるという事例も発生しています。

「労基ってすげぇ」 労働基準監督署の是正勧告で残業代が出たというツイートが話題に

ちなみに…SNSへの書き込みをきっかけにして労基署が調査に入る、なんてウワサがありましたが、デマみたいですね。

「サビ残業なう」で労基署が動く? ウワサの真偽を確かめてみた

下手な調査では営業妨害になる可能性もあるので、当然と言えば当然かもしれません。

閑話休題。

こうした状況はあるにせよ、特に「若者を」「過重労働・違法労働によって使い潰し」という点を広く捉え、違法性はともかくとして、単純に労働条件がよくない場合にも「ブラック企業」とカテゴライズするケースを目にします。
TwitterやFacebookなどのSNSを見ても「うちの会社はブラック企業だ/サビ残が多い」という批判を目にすることは多いです。
実情を知ることは出来ませんが、その理論でいくと、ほぼすべての会社がブラック企業としてカテゴライズされてしまいそうだな、と思うわけです。

加速する悪循環

ではなぜ、ほぼすべての会社がブラック企業としてカテゴライズされてしまうのか。
この答えは単純で「労働者(自分)から見て、企業が不当に労働者を扱っている」という感覚があるからです。

言葉を変えれば、以下のように言い換えられるかもしれません。

  • 労働者(自分)の業務はハードなのに、その仕事を正しく評価されず、わずかな給与しかもらえていない
  • 経営者(経営側)は労働者(自分)をこきつかうことをよしとして、労働者(自分)よりも不当に多い金額を受け取っている

「自分の会社はブラック企業だと思うが、自分は正しく評価されているし、満足のいく給与ももらえている」という人はあまりいない気がします。
もしそうお考えの方がいらっしゃったら詳しくお話を伺いたいので、是非ご連絡ください。

不当に扱われていると感じることは、会社に対する不信感を生みます。
「自分の会社はブラック企業だ」と言いたくなるのも無理はありません。

その体制に対して変革を求めようとすることは自分の評価を下げることに繋がったり、人間関係に影響が出たりするため、動き出すことは出来ない…
多くの人は矢面に立って会社と対峙することは出来ず、自分の所属する会社を見えないところで批判する…
そんな悪循環が想像されます。

「お金を稼ぐ」ことと「お金をもらう」こと

一方、経営者はどのように感じているでしょうか?

あんまり真面目に見ていませんが、「ブラック・プレジデント」というドラマがあります。

ブラック・プレジデント|関西テレビ KTV

急成長のアパレル会社は実はブラック企業。
沢村一樹演じる社長は過酷な労働は対価を得るためには当然のことだと考えており、自社がブラックであるとは全く思っていない。
そんな社長が改めて経営を学ぶために大学に入るというストーリー。
(イントロダクションから意訳しました。)

このドラマ、経営者の考え方、哲学、悲哀、そういったものがなかなかよく描かれていて、私はすごく好きです。
まぁ私のような一社員が何を言うのかという話ではありますけれども。

そんなドラマの中から、一つ台詞を引用させて頂きたいと思います。

要は社員っていうのはこのボールペンと同じだ。我々はこいつの文字を書くという価値に金を払う。
社員だって同じだよ。あいつらの生み出す何らかの価値に対して会社の給料を払っているんだ。

この台詞、言い回しに毒はありますが、一見当たり前のようでいて、経営者の考え方をよく表していると思います。

冒頭で述べたように、私は「月々決まった給与」をもらっています。
社員からすれば、「その時間に何をしていても、結果もらえるお金」であるという錯覚が起こりがちです。
居眠りしてても、鼻くそほじってても、口を開けていれば給料がもらえます。

しかし、その給料は、経営側(経営者)が、社員の労働の価値に対して、妥当であると考える額を払っているものです。
言い換えるとそれは「期待」をお金に換えているということでもあります。
経営者は、社員が鼻くそをほじることを期待しているわけではありません。
会社の業務を遂行し、自社に貢献してくれることを期待して給与を払っています。

さらにその先を見れば、所属しているその会社にも取引先がいて、
その会社の商品やサービスに価値があると考えて、お金を支払っています。
これも、その会社への「期待」をお金に換えているという言い方が出来ると思います。
会社は取引先の期待に応えられるよう、努力します。

これは、個人商店でも同じことが言えます。
お客さんは、その八百屋さんが良い野菜を仕入れてきてくれると感じているので、そこでお買い物をします。
八百屋さんはその期待に応えられるように努力します。

お金は、ただ口をあけて待っていればもらえるものではありません。
しかし、会社員で一定の決まった給与がもらえる立場になると、それを忘れてしまうことがあるのかもしれません。
お金はもらうものではなく、稼ぐものです。

経営から見たブラック社員

「お金は黙っていてももらえるもの」
「自分が頑張らなくてももらえるお金は変わらない」

そういう発想に陥った人を、「ブラック社員」と名付けたいと思ったら、もうちょっと違う文脈で名付けていた人がいました。

サカタカツミ「就活・転職のフシギ発見!」:ブラック企業よりも怖い――「新・ブラック社員」によろしく? (1/4) – Business Media 誠

この記事、ものすごい恐ろしいことですね…
(真偽は定かではありませんが…)

さておき、私は私で、「ブラック社員」を定義してみます。

私の定義としては、「平然と会社の期待を裏切る社員」といったところでしょうか。

だからといって居眠りするなとか鼻くそをほじるなとか、そういうことを言いたいんじゃありません。
人は疲れますので、休みたくなるときもあると思います。
そういうときは休んだほうがいいでしょう。

そうではなく、社員自身が自分に価値が無いと考え、会社に貢献することを諦める状態、それこそ、会社の経営側に対する裏切りと言えるのではないでしょうか。

もし、経営者が「社員は黙々と働けばいいんだ。給与はこれで充分だ。」と考えていて、社員は「仕事なんてしてもしなくても給料はもらえるし、適当にやればいい」と考えているとしたら。
経営者も社員も、お互いを尊重・尊敬する態度を持てなければ、それはひどく不幸なことだと思います。
その会社では誰一人、笑うことが無いかもしれません。

社員は会社に貢献できるよう努力し、経営側はその努力を正しく評価するよう努める。
当然のようですが、そういった関係が続かないと、会社は健全に続かないんじゃないかと思うのです。

働くって何だろう

今回の文章は、ブラック企業大賞にノミネートされていたような企業を肯定するものではありません。
過労死や自殺が発生してしまったことに、経営側は真摯に対応するべきです。

ですが、「経営側の必死さが、結果として労働量の増加に繋がってしまう状況」が全て、世間から批判的な目で見られてしまうのは、あまりにも心苦しいと感じるのです。

経営者は必死です。
自分だけではなく、他人の人生を預かり、給与を支払うことを保証しなければなりません。
社員が結婚や出産をしたら、それを応援しなければなりません。
明日、会社が無くなって、社員が路頭に迷うことがあってはなりません。

人がたった一人で、お金を稼ぐのは大変です。
会社は、社会と個人の緩衝材となり、接点を作ってくれています。
勤める社員がそれを忘れ、会社への貢献を忘れてしまうのは、経営者にとってあまりにも残酷だと思うのです。

会社への所属が嫌ならば、独立をする道もあります。
人によって様々な障壁はあると思いますが、最終的に自分がどうするかは、誰にも決められません。

本来、人は常に選択を迫られています。
選択をしなくて良い時など、ありません。
独立をせず、会社で働くことは、以前の自分の選択です。
誰かのせいにすることは出来ます。
会社のせいにすることは出来ます。
それを望むかどうかも、一つの選択です。

その一番厳しい選択を迫られているのが、経営者という存在なのだと思います。
社員として働く身分にいるのであれば、そのことは知っておいたほうが、少し会社に優しくなれるんじゃないかなと思います。

乱文失礼。

2 comments for “労働と選択

  1. 2014年5月23日 at 3:33 AM

    「会社が最低賃金の保証など従業員の人生に責任を持つ代わりに、
     副業など業務に支障が出そうなことは私生活でも制限します」
    のような考えは止めるべきだ。
    福祉は政府が国民に対して直接、提供するべきだ。
    金儲けの集まりでしかない会社に押し付けるべきではない。

    実際には労働も市場を形成していて、需要と供給で、労働条件も決まる。
    労働基準法は、労働市場を複雑にするだけだ。
    労働者が不足すれば、会社も良い待遇を出さざるを得ないし、
    求人が少なければ、契約にかかわらず、多少の無理も労働者は我慢するしかない。

    「平均」など意味があるのだろうか?
    比較劣位な産業は儲けが出なくなったり、
    採算の採れる待遇では人手が集まらず、
    比較優位な産業へと移ってゆく。
    国民の最低生活の保障は政府が担うべきだ。
    経済構造の転換の中で、倒産するかしないかの
    厳しい金儲け競争にさらされるべき企業に福祉など無理だ。

    労働者の生活保障を会社から切り離して、政府に戻すべきだ。
    本来、金儲けの手段でしかない会社に、福祉などを背負わせようとするから、
    複雑怪奇なことになる。
    会社から見れば、通常の取引契約には、契約の自由が保証されるのに、
    なぜ、雇用契約だけは特別な制限だらけなのか?となる。
    失業保険などを充実させて、解雇を自由化するべきだ。
    雇用の入り口だけ会社の自由にさせておいて、
    雇用の出口を法律で取り締まれば、
    能力のない老人を雇い続けるために、
    若者の求人が割を食うことになるだけだ。