QUOIT Blog

お客様は神様じゃないけどお客様

この記事は5年以上前の記事です。情報が古い場合がありますのでお気を付け下さい。

最近「制作者が客をバカにする」という状況を目にする。
そして、それを疑問にも思わず、「あのクソみてーな客が」云々と話し、それに対して「そうだよね、わかるわかる」と反応する。

そうだよね、わかるわかる。

バカにしたい気持ちも、よくわかる。
口調は違えど、場合によっては私自身も、そういう話しをすることがある。

でも、ちょっと待って欲しい。
ほんとにそれは、正しい感覚なのか?

自分はナニモノか?

まずこの話をする前に、自分の立場を確認しておく必要がある。
それによっては、これからの話は全然関係ないものになってしまうかもしれない。

前提として、私自身が身を置く、いわゆる「Web業界」 …私はこの言葉が嫌いなのだが… で起こっていることを話そう。
Webデザイナー、マークアップ、プログラマ、ディレクタ、その他諸々の立場があるが、近しい感覚を持って読むことが出来そうな人に向ける。
注意して欲しいのは、自分自身の体験だし、実際に聞いた話でもあるし、TwitterやFacebookなどで見かけたことがある程度の、ただほんの一部の話だってことだ。

「分からないから、デザイン/動くものを先に見せてよ。見た後でどうするか決めるから」

よくあるジョークの一種だ。
だが、全くの作り話じゃない。

こう言われた経験のある制作者はほぼ間違いなく「ふざけんなカスが」と思ってしまうだろう。
何故だろうか?

理由は簡単だ。

「無駄になると分かっているものを制作したくない」から。

そうだよね、わかるわかる。

せっかくデザインを作ったって、「気に入らないから」とか「イメージと違うから」なんて理由で作り直すことは、火を見るより明らかだ。
それならば作らないほうがいい。
じゃあ何故クライアントはそんなことを言うのだろうか?

その理由も至極簡単だ。

「作り方を知らない」から。

当然のことだ。
クライアントは、普段Webに触れる機会すら多くない人かもしれない。
ましてや、Webサイトの制作に関して一家言あるというクライアントなんて、いるだろうか?

答えはもちろん「No」だ。

制作者だって、当然そのことを知っている。

それなのに、「ふざけんなカスが」って言ってしまう。
端から見ると、これはひどい話に見える。
何も知らない人に向かって理解しろって言ったって、それが無理な話なのは誰もが知っているはずだ。
一体、どういう心境なんだろうか?

「素人が口を出すな」

制作者の「ふざけんな」という心情に一番近い感覚がこれだろう。
自分がホコリを持ってやっていることをバカにされてしまったような感覚。
何も知らない人が自分の領域に土足で入り込んできて、勝手なことを言っているような感覚。

そうだよね、わかるわかる。

プロとしての意識を持って仕事をしている人ならなおさらなんじゃないだろうか?
そこにホコリを持っているからこそ、出来る仕事もあるし、信頼さえも生むことがあるだろう。

だから、もう一度問おう。
あなたはナニモノか?

山奥に引きこもって、コツコツ木仏を彫る芸術家なのか?

匠と称されるような技術力を誇って、仕事の依頼が絶えないような職人なのか?

はたまた、仕事をもらってお金を得る経済活動の一環を担っているビジネスマンなのか?

自己顕示欲について

さて、ここから少し入り組んだ内容について触れたい。
非常に概念的な話だし、この考え方を全ての人に共有してもらいたいとも思わないけど、ちょうど「芸術」というキーワードを出したので、自分用のメモに書いておく。

仕事であろうと、趣味であろうと、日常生活における全ての行動は自己顕示欲と密接に交わりあっている。
他人が介在しなければ、全ての行動は究極的には意味を為さないものになる。

芸術活動において、自己顕示欲は大いなる敵だ。
表現が他人の目線を気にするようになった時点で、既にそれは芸術たり得る資格を失う。
芸術表現とは、自己と向き合うことだ。
突き詰めれば、誰にも知られる必要など無い。

これは非常に難しい問題だ。
芸術活動をしている人の中には反論も多くあるだろうし、あくまで私個人の考え方であると前置きしておく。

私はそう考えているので、能が無い芸能人とやらが自らの作品と称するものを世に出したときに「出来るだけ多くの人に見てもらいたい」などとほざく行動には反吐が出る。
それは商業活動の一環であって、芸術の要素のカケラも無い上に、当人がそれを理解していない。
御輿に乗るのは勝手だが、御輿に乗せた人間が悪意をもっていることは知っておいたほうがいい。

話が逸れた。

芸術における自己顕示欲は敵だが、日常生活において自己顕示欲は害悪では無い。
他人に認めてもらいたい、という欲求は誰しもが持つものだ。
最近で言えば、Twitterが最たる例だろう。
自らが発信者になることで自己顕示欲が満たされる構図は「居心地」とでも表現すべき感覚の高揚を生む。

しかし、自己顕示欲は日常生活でも害悪とされることが多い。
日本特有なのかどうか分からないが、他人に認められることは「下心」の一つであると認識されることが多いのではないだろうか。
さもしい、卑しい根性が生む、忌み嫌うべき感情。

だが、本当にそうなのだろうか?

認められる先に、金銭的な利害関係が見え隠れする可能性はあるにせよ、だからと言って自己顕示欲そのものを悪だとするのは違う。
多くの人はそのことを感覚的に理解しているが、自己顕示欲というものとうまく付き合うことを深く考える機会が少ないように思う。
自己顕示欲が間違った方向に向かった結果、犯罪を自慢するというような、よく分からない行動に発展してしまう。
Twitterがバカ発見器などと揶揄されるのは、多くの人が自己顕示欲との付き合い方を間違うからだ。

本来、他人に認められたいという欲求は、向上心にも繋がる。
「そのために頑張る」という目的の一つになり得るということだ。
その心を悪用する企業もあるが、今回の記事では触れないでおこう。

仕事へのプライド

自分の仕事に誇りを持つことは、素晴らしいことです。
…と、誰が言ったかは知らないが、どこかで聞いたことがあるセンテンスだ。

しかし何故、自分の仕事に誇りを持つことが素晴らしいのだろうか?
短絡的な答えを出すなら、期待に対して責任を負ってくれるからだ。
依頼した仕事に対して、一定以上のクオリティを担保してくれる。
言葉で表すのは簡単だが、そのクオリティを担保する責任の重圧は生やさしいものでは無いだろう。

プライドとは、自己顕示欲の派生形と考えることが出来る。
その期待に責任をもって応えましょう、という誇り。
それに対する代償は、金銭的なやり取りだけでは解決にならない。
他人から認められる存在であり続けることで、代償とする。

だから、そのプライドは尊重されなければならない。
仕事に対して誇りを持つとはそういうことなのではないだろうか。

参考までに言っておくと、芸術家はプライドなど持たない。

お客様は神様じゃないけどお客様

さて。
今現在、私自身は会社に勤めており、経済活動の一環を担うビジネスマンであると理解している。
金銭を得て家族を養うために働いている。

私がやるべきことは、仕事だ。
仕事に対するプライドは、まだ無い。

正確に言えば、醸成中だ。
私は期待に応えられます、という誇りを持つには至らない。
まだまだ勉強と経験が必要だ。

クライアントが無理を言ってくるシーンはあるが、どうにかそれを実現したいと考えている。
もちろん、ふざけるな!という気持ちになることもある。
だが、自分を振り返って、そんなことを言えた身分で無いことを思い出す。

私は充分に期待に応えられていたか?
それは、私が充分だと思い込んでいただけで、クライアントの期待と合致していなかったのではないか?
クライアントの期待と要望をまず洗い出し、正確に把握する努力を怠っていなかったか?

まずやるべきことは状況を思い返すことであって、クライアントの悪口を言うことじゃない。

一歩間違えば、それは方向を見失った自己顕示欲へと発展する。
クライアントの悪口を言うことは、犯罪自慢とそう変わらないのだ。

さらに言えば、プライドを持って仕事をする人間は、クライアントの悪口を言う必要などない。
責任を転嫁し、負うことが出来ないなら、その人はプライドを持つ資格すら無いからだ。

お客様は神様だと言うつもりなど毛頭無い。
しかし、お客様はお客様だ。
お客様に仕事を依頼され、それの対価を頂戴する。
あなたが向き合っているのは、自分ではなくお客様だ。

その上で、それに対する自分はナニモノか、よく考えてみるまでもあるまい。

まとめ

長々と書き記してみたが、こんな文章は私の独り言でしかない。
これも私の自己顕示欲の一つの形に過ぎないのだ。

認められるかどうかというところにあまり興味は向かなくなってきたが、
ブログに書くということは、誰かに見せることだ。

これを読んだあなたがどう考えるかは自由だし、どうして欲しいとも思わない。

ただもう少し、自己顕示欲と付き合う方法を考えてみてもらえれば、誰かが幸せになるかもしれない。

1 comment for “お客様は神様じゃないけどお客様

  1. Kn
    2012年3月19日 at 11:32 AM

    自分と、お客さんと、ときにはお客さんのお客さんと、場合によってはそのお客さんのお客さんのお客さんと・・・。社会に対してプラスの働きかけをし、結果を出すのが仕事だと考えています。
    つまり、その仕事を成すうえで(職種によりますが)お客様は協力者であって、最終目標ではないような気がします。
    強力なマネージャがいれば、アートも自己顕示欲もどうでもよく、そういう人なんだなってだけですよね。
    究極は、自分がその人のことを好きか嫌いか、それだけだと思います。

    私はこれからも、目の前の人が好きか嫌いかに理屈をこねつつ、直面する問題のみに集中し、蟻のように働きます。
    これで食い繋いでいられるなら、それが凡人の幸せというものです。