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そろそろ本気でネットの人格について考えてみませんか

この記事は6年以上前の記事です。情報が古い場合がありますのでお気を付け下さい。

先日の記事がだいぶ落ち着いてきたので、そろそろ改めて僕の考えてみたいテーマについて、じっくり考えてみようと思いました。
かなり長い文章になってしまいましたので、ヒマなときにどうぞ。

テーマ – かんがえること

今回考えるのは、「インターネット上の本人確認ってなんだろう」ということにします。
インターネット上における本人確認の意義とその必要性、及び手段について考えてみたいです。

前回の議論では、結局「そんなに言うなら使わなければいいじゃない」という話にも発展しがちで、それ自体は悪いことではないのですが、自分が考えたい、問題提起したいこととは違ってしまったので、ここで改めて考えてみたいなと思った次第。

あと、僕は賢くないので、なるべくやさしい言葉で書いていきます。ご容赦を。

前提 - 「本人確認」とは

そもそも「本人確認」って言葉は何を指すのか、共通認識として持っておきたいです。
手元にある広辞苑には「本人確認」って項は無かった。ちょっと意外。(古い版だからかもしれない)
というわけで、wikipedia先生に頼ります。

本人確認 – Wikipedia

とりあえず端的な説明としては

(略)行政庁等に対して公文書の申請や公的機関などで手続きをする際(略)に、当該行政庁等、公的機関及び特定事業者が、相手方が本人であることに間違いがないことを確認することをいう。

ということらしいです。まぁ、政府機関とか特定事業者のための言葉ですね。

「本人であること」っていうのは、政府機関を対象と考えるなら「戸籍で証明された人格」と考えて差し支えないでしょう。

つまり一般的な意味での「本人確認」とは、「戸籍」=「国民であることを証明された公文書」で、政府機関などに「私は国民の一人です。ここに登録されたこういう国民です。」と認めてもらう行為である、と言えるかと思います。

一般的な本人確認

政府機関以外にも本人確認が必要なシーンはたくさんありますね。
携帯電話を買うときだって、スポーツクラブに入会するときだって本人確認書類の提出を求められます。
それぞれ、携帯電話を買うときなら犯罪抑止、スポーツクラブなら健康上の万が一に備えて、という理由が想像できます。

認められる書類も様々ですが、免許証や保険証、住民票、パスポートなどが代表的かと思います。
共通するのは、これらの書類が、戸籍という公文書に紐づいた書類であることです。

このあたりまでは、割と共通認識として持っておいていいのかな、と考えてます。

仮に、現在一般的なこの本人確認、つまり戸籍という公文書に紐づいた書類(またはその写し)の提出によって確認を行なうことを「国民確認」と名付けます。いいですか。ダメですか。いやでも今だけなんでそう言わせてくださいおねがいします。

というわけで次にいきます。

インターネット上の本人確認の現在

さて、ここで話はインターネットに移ります。

現在、インターネット上のサービスで国民確認を実施しているのは、既にインターネット以外でサービス展開されているケースがほとんどではないでしょうか。
例を挙げるなら、インターネットバンキング、携帯電話のマイページなど。
インターネットサービスのみだと、国民確認というほどではないですが、Yahooオークションの利用時には、現住所が有効である確認が必要です。
少し特殊な例としては、「co.jp」ドメインの取得の時に必要な書類ですね。会社の登記簿とかが求められたはずです。
国民確認を厳密に実施しているサービスは、ぱっと思いつきませんでした。
もしご存知でしたらコメントにてお知らせ頂けると幸いです。

その他の多くのサービスにおいて、そのサービスを利用するときに必要とされるのは、ほとんどが「メールアドレス」ではないかと思います。
少なくとも契約しているインターネットプロバイダからメールアドレスが貸与される場合が多いですから、メールアドレスなんか持ってないよ!という人は(おそらく)いないのでしょう。

つまり、インターネットを利用する人なら、その「起点」となるメールアドレスは誰しもが持っている、という前提の元に、メールアドレスを連絡先として必須にしているところが多いようです。

(ドメインを持っている人はそちらを利用すればいいですが、そのドメインの契約にもメールアドレスは必須です。)
(僕もドメインを持ってますが、既にその起点はどこだか分からない状態…まぁどこかにあったはずです。)

その中でも、少し限定された例を挙げるなら、mixiの登録には「携帯電話の」メールアドレスが必須です。
おそらく、「携帯電話」は国民確認を経て購入されたという前提にたって、信用を高めたいのでしょう。
(初期はどこのアドレスでもよかった気がするけど、うろ覚えです。)
しかし、国民確認を実際に行なっているわけではありませんので、戸籍に紐づいた書類によって実際に確認されたわけではありませんし、書類の写しを持っているわけでもないので、直接的な信頼の根拠には成り得ないと思われます。

余談ですが、携帯電話の専用サービスであれば、メールアドレス以外の認証手段として、個体識別番号があります。携帯電話の端末を特定できるユニークな情報ですが、スマートフォンには個体識別番号がありません
いわゆる「ガラケー」に限定すれば、どの端末であるかを絞り込むことは可能と思われますが、国民確認とは意味が違います。

閑話休題。
メールアドレスを起点にした本人確認は非常に脆いものです。国民確認とは全く趣旨が違います。
むしろ方向としては、全く逆の発想であるはずです。
つまり、

  国民確認が出来る書類を持ってきたよ → サービスを利用していいよ

ではなくて、

  サービスを利用していいけど、連絡手段どうしよう → メールアドレスならみんな持ってるよね

という方向性の違いがあります。

さらに、「出発点」になるメールアドレスさえあれば、フリーメールアドレスなどを経由することで、非常に不透明なメールアドレスを作り出すことは難しいことではありません。

サービスによってはフリーメールアドレスでの登録を禁止しているサービスもありますが、それがどうしてフリーメールアドレスを経由していないアドレスだと証明することが出来るでしょうか?

フリーメールアドレスでもドメインは取得できます。

そう考えると、メールアドレスという存在は、本人確認の手段には成り得ない、非常に不確実な情報であることが想像できます。

メールアドレスって何の証明?

ここで、ちょっとおかしいな、と思うことがあります。

それは、多くのインターネット上のサービスがメールアドレスの存在と価値を過信していないだろうか?ということです。

メールアドレスが必須とされる理由は上記の通り「インターネットのサービスを利用する人なら必ず持っているはずだから連絡手段として使う」…のはずですが、何故メールアドレスが必要なのか、その意味が変容してきていると思うのです。

「サービスを利用する上で、本人確認の一種として、メールアドレスが必須になっています」という方向に、暗黙的に。

つまり、どこでどうなっちゃったかわからないけども、方向性が逆転してきてないか?ということです。

メールアドレスは直接的な本人確認の手段には成り得ないはずなのに、あたかも本人確認の一種であるかのように扱われていることが多いな、と思ったのです。

と、ここで一つ問題を思い出してしまいました。
先日から話題に上がっていますが、Facebookは本人確認について一体どういう方向性を持っているのかという問題です。
ただ、これはまた別の問題であり、Facebook運営側の意見は表明されていないため、分かりません。
ですので、今回この問題について考えることはしません。
これについてご意見のある方はご自身のブログなどで問題提起をお願い致します。

Twitterもメールアドレスが必須ですが、一回使ったメールアドレスは二度と使えません。

これは、そのメールアドレスに一つの「人格」を見ているからではないでしょうか?

いつの間にか出来る「人格」

さて、「人格」というキーワードが出てきましたが、このキーワードこそ、今回の記事で最も考えてみたいことなのです。
(前置きが長くてすいません)

僕はTwitterをやっていますが、目的によって使い分けるため、メインのアカウントとは別に複数のアカウントを所有しています。

普段はメインのアカウントのみ使用し、基本的に他の方とのやり取りはそこから行ないます。

さて、ここで問題です。

@yakumo_xというTwitterアカウントは、私ですか?

何アホな質問してんだこのバカと思うかもしれませんが、とても重要です。

もしこの記事を読んでいるあなたが僕と直接会ったことがある方だったら、おそらく答えは「YES」でしょう。

何故なら、僕は名刺を渡すときにアカウント名を書いて渡していますから、その人はこれは僕のアカウントである、と認識することが出来るからです。
また、Twitter上で実際に会ったときの話が出れば、ますます確信を得ることが出来るでしょう。

直接会ったことが無い方でも、Twitterでやり取りをしている人だったら、このブログを書いているのが@yakumo_xであると認識するのは難しくないと思います。

ブログを書いたときにはTwitterでも更新告知をしていますし、最近は書いた後にはてなブックマークにも登録しています。

はてなブックマークのアカウントは以前使っていたyakumo27というハンドル名ですが、このアカウント名を知っている人なら、これは@yakumo_xのブログであると、ますます確信を得ることが出来ると思います。

このように、実際に会うかどうかに関わらず、インターネット上に存在する僕は他の方から認識されています。

認識の方法はさまざまですが、これは僕ですよね?という問いを投げかけたときに「YES」と言ってくれる人は、面識があってもなくても大勢います。

これは、言い換えるなら「ネット上における人格」と言うことも出来るのではないでしょうか。

そこに国民確認は全く介在しませんし、法的な効力はおそらく無いのでしょう。
(詳しくないのでもしかしたら法的に認められているかもしれませんが)

しかし「ある人がその人の存在を認める」ことで、「その端末の向こうに人がいる」ということを認めることが出来ると思います。
少なくとも、まだ人工知能が未発達な現代においては。

インターネット上の本人確認ってなんだろう

ようやく冒頭の問題提起に戻ってきました。

メールアドレスは本人確認の手段にはなり得ず、インターネットサービスの画面から登録された情報は信用に足るものはない、という立場に立って考えます。

ならば、どういう方法で本人確認を行えば良いのでしょうか?

この問題については、各インターネットサービスの運営者が判断することであると思います。
厳密に確認を行いたいなら、当然のことですが、国民確認が必要でしょう。
それ以外の情報に、信頼できる根拠など一つもありません。

でも、少しはその信頼を持たせたい、と思うのであれば、インターネット上の人格を認めてみたらどうかな、と僕は提案します。
公私ともに親しくしているうめげんさんからの受け売りですが、「他の誰かから認識されている」ということを一つの信頼とする、という仕組みです。

障壁はもちろんあります。
一番大きな問題は、「インターネット上の人格」を認めるという発想がまだ少ないこと。

先日こんな記事を目にしました。

Business Media 誠:実名制ということは参加に責任を持つということ――ユニクロ・柳井会長がFacebookを選んだ意味

以下抜粋。

「UNIQLOOKSは、実名制のFacebookでなければできないものだ。インターネットの匿名性というものは、信用できないし、参加したと思えない。参加するということは、個人が責任を持つということ。投稿に責任を持つことによって、その情報は信用できるものになる」

なるほど、匿名は信頼できない、という主張には頷けると思いますが、「Facebookでなければ」という部分で失笑してしまいました。
実情をご存知なかったのだろうと思いますが。。
失礼ですが、正直なところ何を根拠に信頼を寄せているのか全く理解できません。

この記事の例に限らず、インターネット上の人格なんて、それこそ根拠のない、不確実な情報ではないか、と考える方は多いと思います。
実際、それは独立して存在していた場合なら、信用などあり得ないでしょう。
しかし、「他人からの承認」を前提にしていたらどうでしょうか。
悪意を持ってある人格をでっち上げる人はもちろんいるでしょうが、その情報=他人からの承認の数が多くなったらいかがでしょうか。

少しわかりやすい例として、Twitterをあげます。

あるアカウントにフォロー/フォロワーが数千を超える単位でいたとします。
フォロー/フォロワーの比率はほぼ同じくらいで、その人は100を超えるリストに入れられています。

この人は実在すると思いますか?
僕は、実在する確率は高いと思います。

また、この人のことを自分の友人が知っていたとします。
すると、その人格の輪郭がかなり見えてきます。

しかしながら、その人がいれられているリストの名前がほぼ「bot」や「spam」だとしたらいかがでしょう。
今度は急に実在する可能性が低くなりますね。

この判断を下すことが可能なら、インターネット上の人格を認めていると考えていいと思います。
その基準になるものは、あくまで「他人からの承認」です。
先ほども書きましたが、もっと確実な情報を求めるなら、国民確認を行なうほかに解決策は存在しないと強く思います。

まとめ

かなり長々と書いてしまいましたが、僕の言いたいことは表題の通りです。

今回の記事を書くに当たって、発端となったのはFacebookのやり方でした。

「インターネットは不確実な情報しか存在しない」という前提から抜け出すなら、国民確認の実施が必須であるのは明らかです。
にも関わらず、「実名制である」とはただの主張でしかないハリボテ状態のFacebookのやり方は非常に気持ちが悪い。

それだけではなく、インターネットサービスの提供者は、利用者の存在の有無についてもう少し考えを巡らしたほうが良いのではないか。

「どうせネットだから、その情報は信用できない」という時代は確実に転換点を迎えています。

良く言われることですが、個人が情報の発信者=メディアとなる現在、その空間で人格がどう成立するのかということを考える必要があると思います。

以上が、僕なりに考えてみたことです。

もっと高いレベルでこの問題を考えていらっしゃる方からは失笑ものかもしれませんが、もし宜しければご意見頂けますと幸いです。

8 comments for “そろそろ本気でネットの人格について考えてみませんか

  1. 2011年2月21日 at 11:30 AM

    http://ja.wikipedia.org/wiki/OpenID
    これは、どう?

  2. yakumo
    2011年2月21日 at 11:50 AM

    fumiさん>
    ありがとうございます。
    OpenIDはかなり有効だと思います。もう少し流行れば…ですけども。
    少しずつ使われるようになったものの、なんでこれが流行らないのか不思議なんですよねえ。

  3. 2011年2月21日 at 12:17 PM

    OpenIDの中の人達、とても近くにいるんだよ。
    一度、どっかで話できるといいね。

  4. yakumo
    2011年2月21日 at 12:19 PM

    fumiさん>
    ま じ す か!ぜひ話してみたいっす!

  5. 2011年2月21日 at 12:22 PM

    こんにちは。かちびと.netというブログを書いている噂の根暗野郎・シロさんです。お久しぶりです。

    興味深く読ませて頂きました。概ね同意です。ただ、僕の独り言を聞いてもらいたいと言うエゴでコメント書きに来ました。お許し下しあ。

    「本人確認」は結構難しい議題だと思います。ネットではない、リアル世界でも難しいし、簡単に偽造出来てしまうので、議論は常に絶えない印象ですね。

    これは過去に流行った方法なんですが、例えば街中でアンケートを取り、プレゼントが当たるなどの謳い文句で住所や電話番号を入出→区役所等で住民票取得→銀行で住民票で本人確認→偽名の銀行口座が出来上がります。今もこの方法で役所での他人の住民票所得は出来るんじゃないかな・・分かりませんけどw

    役所がしっかり本人確認をしないから、住民票に写真が無いから、そもそも住民票で本人確認するからだ。

    いろいろ問題視する声は上がりますが、各々コストや環境に応じて問題が生じるのは明白です。戸籍すら売られてしまうような時代に、匿名性の高いWeb上での本人確認はかなり無理があるのでしょうね。

    Web上における本人確認が難しいのは単純に「デジタルだから」だと思います。法的にもメールなどは基本的には「文章」、「証拠」扱いされませんよね・・・(場合によってはなるみたいですな http://bit.ly/dWAWU9 )画像や名前もWeb上では所詮デジタルが生み出す数字の羅列である以上、簡単に偽装出来てしまう点が、Webの弱点でもあるかなと思うんですよね。個人的には手軽で好きなんですけどw

    リアルでも難しい問題なので、一番確実なWeb上における本人確認はWebカメラ等で目視確認する以外に無いんじゃないかなと小さい脳で考えたりしています。

    だから、僕は「Web上での人格はWeb内オンリーで楽しむ」感じです。

    なんだか論点が分からなくなってきたのでこの辺で退散しておきます。畑違いの内容だと思われたら削除よろですw

  6. yakumo
    2011年2月21日 at 12:36 PM

    シロさま>
    おひさしです!ありがとうです!
    確かに、これは難しい議題なのですよね。仰る通り、現実世界だって偽造なんて出来ちゃうわけで。
    そうすると、記事中で国民確認と名付けた確認方法だって、かなり曖昧になっちゃうわけで。
    ちょっと話がそれますけど、こないだ読み終えた小説は、全てがIDタグをつけられた完全管理社会のお話しでした。
    そこまでしないと確実な方法なんてないのかな、と。それだって抜け道はありそうなもんですが。
    現実世界もネットも、そう考えると大して変わらんじゃないかと思うのですよ。

    > だから、僕は「Web上での人格はWeb内オンリーで楽しむ」感じです。

    基本姿勢として、現在広く受け入れられてる考え方だと思います。
    今回は、そこからもう一歩何か進められないかなーと思って考えてみました。
    解決する答えにはなってないんですけどねw

  7. YAT
    2011年2月21日 at 1:01 PM

    ネット上で本人確認確認という行為自体が難しいですよね。仮に僕が戸籍謄本を持って自分が誰かということを明示したとしても、実際にネット上でそれを書いてるのが僕かどうかは僕にしか分らないことですし、
    そのポストをしている人が、戸籍謄本を出した僕自身であるかも結局ネットを見てる人には分らないことなので無意味ですよね。

    芸能人の方だってツイッターでアカウントを作ってツイートしてたり、ブログを書いてたりしてますが、全てが本人じゃないみたいだし、こう言った方々に関しては本人である必要性があるかすら疑問な感じがします。

    むしろ、自分が書いているわけではないアカウントが、自分が認めた他人が好きなようにネットに書き込んでおり、それにたいして何の疑問を持たないということのほうが、本人を確認するという行為ことよりも遙かに気持ち悪いことが起こってると思います。
    しかもそれが普通に起こりえてるのがネットなわけで、そんなところ出てきたfacebookのやり方はyakumoさんの仰られている通り僕も気持ち悪いです。

    本名を使うか否かも、結局そのアカウント保持者がどういう考え方で実行するかの意志が大事であって、周りから自身を特定される為に行うことも、特定条件でもない限り意味が無いように思います。

    特に日本は個人を特定するID管理が海外に比べて劣ってる分、他国のやりかたを日本に持ってこられても合うわけがないと思います。

    むしろそれを完全に一致させるほうが、リアルでの危険性を伴いデメリットのほうが多いとも思います。

    長々と駄文失礼しました。

  8. yakumo
    2011年2月21日 at 1:33 PM

    YATさん>
    ありがとうございます。
    戸籍謄本を出した本人であるかどうかという保証は、それを確認したインターネットサービス提供者が担保すればいいとは思うのです。
    芸能人の方はそういう方もいらっしゃるみたいですねwそれもちょっと特殊な世界ですねえ。。
    ちなみに、今回は本名利用の是非については問いませんが、僕も本名であることには特に意味が無いと思ってます。